朝から事務所来て
依頼を受けた漫画を描き始めた
今ひとつペンのノリが悪く
今日は1コマで辞めます
ラフ画は描いたのですが
あまりディフルメ化せず
ラフっぽいタッチで良いかも?
と思った
毎日描いてると
我ながら「プロの域」に近づいてきた
この後、WEBの勉強して
合間、作曲し
メンバーに音源送り
夕方、少し仕事をし
適当に帰るとする
イメージしている描きたいイラストも数点ある
その辺は
またの休日に「おあずけ」だ。
マッチョベーカリーが評判良く
2作目の催促を頂いている
恐らく更新は年末になります
しかし、僕はいったい何モンだ
仕事も当然
ありがたい事にキチッとさせて頂いてます
(不景気ですが)
当然技術向上に励んでおりますが
その辺はブログには描きません
とにかくが創作意欲が半端ない
人を驚かせる事
笑わせる事
それが僕の心情です
でも小学生のときから
なんでも
かんでも
創作しようとした傾向があるから
中身は「そのまんま」なんですね
そうそう
思い出したが
実体験の
少し良い話を描きます
小学校2年生の時
「松山先生」という教師がおりましたが
毎朝一番で児童に「タイガーマスク」の歌を歌わせ
授業中でもたまに
タバコを吸うという
なんとも素敵な先生でした
理科の授業で
「風の力で船を動かす」との実験。
牛乳パックで作った様な船に帆をつけ
プールに浮かばせて
団扇で扇ぎ、順位を競うという内容
そういう授業に人一倍
「おだつ」当時の僕は
タミヤでプラモデル用のモーターを買い
回路を組み、スクリューをつけ
電動で動く船を造りました
学校に到着後
みんなから「田邊すげ〜!」と賞賛
そして
いざ、プールに浮かべると
船体の重みで3秒で沈没(笑
悔しくて悔しくて
プールの「消毒風呂」の辺りで
「ぎゃんぎゃん」泣いてた記憶があります
でも、松山先生は
何故か僕を1位にしてくれた
思えば授業の趣旨は「全無視」であったはず
今思えば
すごく寛大な人だったと思います
その辺りから「将来物を作る人になろう」と
思った気がしますね
今はカメラマンですが(笑
ま、微妙に物つくってます
個人的には
そういう興味意欲って
子供にとってみれば「すごく大事な事」だと思います
なんでも、かんでも
情報を得る手法が
「サイバー化」しておる時代で
その辺、僕は時代の衰退だと感じている
教科書を廃止して
「i pat」を導入しよう考える戯けた大人も沢山いる
色々回り道をして
時間をかけて
足を運んで
得られる情報収集って、すごく大事だ
むしろ
その結果よりも
結果が出るまでの「過程」がなにより財産になったりする
甥が夏休みとかで実家に遊びにきた時
親父と甥が一緒に
夏休みの工作を作っていたりする
(8割は親父の創作)
それと
地方まで連れて行き
新幹線のせたり
機関車見にいったり(車両関係が多い)
ここ最近も航空ショーつれてったり
時に半強制的に袖をひく(笑
恐らく「甥」は
時に興味が無かったりする訳だが
必ずどこかで
その記憶が蘇る訳です
インターネットで「蒸気機関者」や
「戦闘機」なんて腐る程見れる訳ですが
実際、目で見て触れる事をしないと
「感動」というものを覚えない
今の児童に足りない感情は
一概に「感動」というもんだと感じる
長くなりました
エキサイトしました
そんな訳で僕は「下品」な絵を描きます
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