ツイッターを開いて
よく眺めてたら
フォロアーが100人程になっていた
たま〜に開いて見たりしてるが 特別
これといって得れるものは無い
最初試しに
フォローされた人にをフォローを返したり
好きな作家さんや
アーティストさんをフォローしてたり
してたのですが殆ど見ない
たまに僕自身もツイートし
コメントが入ってくる時がありますが
なんか嫌で返信しない具合
一つ感じたのですが
一般の人がこのツイッターを使用するにあたっては
特別意味なんかないと言う事。
大半は「暇つぶし」か「はけ口」
みたいなもんかな、、、と感じますね
正に意味の無い「つぶやき」
意味なんか無い言葉は
ある意味「人の価値観」を明確に表すものと感じる
時に
「なんだコイツは?」と
苛立を覚えるのもある
心理としては
「寂しさ」というストレスを
埋めたい感情もあるのかな?とも感じる
「腹減った」とか「眠い」とか
「今、本屋なう」「寒い」とか
リアルタイムに
心の感情を文章にしたい心理というのは
僕には一生解らない
プライベートに自分が「今なにやってるのか」
なんて、逆に知られたくない
と、いうか
誰も関心無いと思います
ブログと大きく違うのは
文章がリアルタイムですぐ流れる。
文字も多く打てない。
公開が不特定多数。引用も可。という感じ。
使い方によっては機能的な使用もあると感じますが
僕には未だに楽しさや便利さ理解できなかったりする
一つ問題だと思うのが
こういったリアルタイムの
「オンライン」コンテンツというのは
ゲームなんかでも最近流行っていると思いますが
「依存」というのがあると思います
ツイッターを見ていても
朝から晩まで携帯いじってるやつ
沢山いますよね
中には会社員で仕事中の人も沢山いると思います
最近、知人でも友人でも
多いですよ
常に携帯いじってる人
意外に、中年に多いと思います
なにかとサイバーの世界のコミュニティーが拡散されており
個人的には悪い事ではないと感じますが
意外に依存してる人が多いと感じる
本当に個人的な僕の思考ですが
そんなに
目に見えない「仲間」や「友人」が必要なのかな?と感じる。
僕は現状リアルな友人もいらない(笑
今の仲間で満足している。
昨日テレビで「元BOWY」氷室京介が
「国内で自殺者が絶えない現状について」
話していた
彼の言葉と僕の若干の解釈を述べると
日本人はなんでも他人に理解を求めようとする
価値観というのは第三者と違って当たり前。
A君の価値観があってB君の価値観があって
自分の価値観があり
何が正しい訳でも無い
人に否定されようが嫌われようが
それは他人の価値観であって
自分を責める事は無い
と、かっこいい事言ってました
と、いうのも
人って人間関係による
ダメージが一番大きいのかな?と感じる
仮想の世界でも罵りあいや決別というのは
当然あると思うので
中には仮想の世界でストレスを感じる人も
少なくないと思う
一概に「クダラナイ」話だ
こういうオンラインコンテンツは
使い様で
程々に楽しむ事が一番だと思います
ある意味
使用時間を制限するというのも
人によっては必要かもしれませんね
なう
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